BIOGRAPHY
吉岡仁美 Hitomi Yoshioka
2014・2015 ミスワールド準日本代表
出身地:徳島県
身長:172cm
3サイズ:B79/W60/H87
趣味特技:フルート、高等学校教員免許一種、中学校教員免許一種
コメント:私は、幼い頃から自分の身の周りや社会へ貢献がしたいという気持ちが強く、何か自分が出来ることで人々を喜ばせたいと強く願ってきました。小学校5年生の時には内モンゴルへ植林活動に行き、大学では在学中の4年間、12歳から始めたフルート経験を生かして、自らボランティアチームを立ち上げ、施設や学校へ訪問演奏を行いました。持ち前の明るさでミス・ワールドとして世界を繋ぎたいと思います。
中学校教員を辞め、一念発起してミス・ワールドを目指し上京した理由:紆余曲折あったものの、臨時教員として徳島の中学校で教員となった仁美さん。生徒からも友人のように慕われ、順風満帆な社会人生活を送っていた。吹奏楽部の顧問として、音楽にも携わり、このまま四国で人生を全うしようとしていた——。そんな矢先、ひとりの男性が現れた。
「当時の職場の先輩が、急に私に『吉岡先生って本当はモデルになりたかったんじゃないの? こんなところにいちゃダメだよ! 』と言われたんです。ギターをつま弾きながら」
実はその先輩は東京でバンド活動をしていた過去があり、CDデビューまでしていた元アーティスト。夢を追い続けた過去に仁美さんを重ねたのだろう。
「えっ?って思いましたね。でも、確かに言われてみれば私の人生は親が言うようにやってきた。もちろん、楽しく、満足もしていたけど、そう言われて、自分の胸の内を深く掘り下げるようになったんです」
教師という立場上、生徒の進路を案じるのも一つの仕事。ある日、受け持っていた生徒たちに「いまから夢とかやりたいことを見つけて——」と語ったところ、生徒から「吉岡先生は先生になりたくてなったの?」と言われ、ドキッとした。図星だった。
そこで仁美さんは決意を決めた。
「東京でモデルになる」と。
職場の先輩や友人をはじめ、応援してくれる人は多かった。しかし、受け持っていた生徒には最後まで言えなかったという。
2013年8月退職予定。生徒には何も言わず、1学期の修了式を迎えた。校長先生に呼ばれ、壇上に上がる仁美さん。
「今期限りで吉岡先生は退職します」
生徒から悲鳴が上がる。そこで、吉岡先生は最後の挨拶をした。
「ここまで何も言わずに本当に申し訳ありません」
最後の言葉として、仁美さんの人生訓を送った。愚痴や悪口が目立つ、可愛い可愛い、生徒たちに向けて——。
「皆さん、手に“吐”という文字を書いてください。愚痴を吐く、悪口を吐く。吐くという言葉は、口と+(プラス)と−(マイナス)で出来ています。その−を取ってください。そうすると、“叶”という字になります。みんなの口からマイナスを除けば、環境が変わり夢は必ず叶います。皆さんもぜひ、マイナスを除いて、夢を叶える人生にしてください」
徳島の一教師が東京でモデルを目指す——。いざ、夢を叶えようとする張本人の言葉に先生も生徒たちも歓喜に湧いた。
そして、吉岡仁美は上京する。
これまで親の敷いたレールを走ってきた仁美さんが、はじめて親に反発した。事後報告だったこともあり、両親は激怒。上京の日も見送りに来なかったというから、その怒りは相当だ。で、東京にアテはあったのか?
「全くなくてですね(笑)。しかも、東京のことなんてほとんどわからなくて、とりあえず部屋を借りようと思って、パソコンとフルートと着替えと全財産30万が入った通帳を持って、高速バスで東京に向かいました」 (以上、東京カレンダーより抜粋)